ネパール旅行記「カトマンズ」です。
旅行の本などでは「カトマンズ」と記載されていて、実際旅行会社の方も「カトマンズ行きの航空券ですね」などと言いますが、「Kathmandu」なのでカトマンドゥの方がより近い発音になります。
カトマンズは、ネパールの首都になります。
カトマンズ郊外にある友人の地元に行って乗馬をしたり郷土料理とどぶろくを振る舞ってもらったり、パシュパティナートに行ってミルクババとサドゥーに会ったり火葬場で不浄観をしてみたり、パタンのダルバール広場に行ったりしました。
写真は別ページにまとめてあります。
ネパールについてすぐランタンに旅立ってしまった僕は、当のスカイプの彼とはなかなか会えませんでしたが、彼の会社がカトマンズ市内にあるということで、僕の滞在先まで来てくれることになりました。
カトマンズ郊外にて
そして、しばらくカトマンズの街を案内してもらったあと、彼の友達の店に一緒に行ってバイクを借りて、少し外れた田舎の方へ。
彼の友達に、乗馬を習ってきました。
結構小ぶりの馬でしたが、何もしなくても意志を汲み取ってくれる共感力の高い馬でした。
行きたい方向に目を向けるだけで、気持ちを読み取って進んでくれました。
(9年半後、この子の影響により、国内で外乗に行くことになりました)
郷土料理とどぶろく
そしてパッケージツアーでは味わえないような現地の郷土料理とどぶろく。
なんだかんだで豆系が多かったでしょうか。
夜は三十路の男子たちと踊り明かした後、ナイトツーリング。この上なく楽しかったです。
なぜかクラブの集まりに参加して、現地の議員に会いました。
その後、キャンプファイヤー中にご当地ソングの合唱の中、現地の方と謎の踊りでわいわいしてみました。
ホテルを渡り歩く予定が、なぜか某社エグゼクティヴ宅にホームステイすることになりました。ここには綴れないような強烈な体験もしてきました。
試験的に現地の床屋で髪を切ってみました。
大丈夫でした。
「英語大丈夫かなぁ・・・」
と思いつつ、あまり気にせず行ったのですが、人間は3日もたてば見事に適応するようになっているようです。ただ、あまりに単語を忘れていたので、後でネットブックの辞書で調べたりしながら、何とかやってました。
文化や宗教だけでなく、政治やアジアの経済についてもたくさん話してきました。なんて事をしていたせいか、後半は、
なぜか彼の会社で商談。
…
彼の友人の会社で商談。
商社マンかオレは…
キャンプファイヤーをしながら
現地の銀行から融資を受けた場合の金利は、こっちの消費者金融と同じくらいでした。
ここ数年、地価は都市部で一部百倍くらい値上がりするという、不動産バブルのような現象が起こっていたりするそうです。意外と若い層は英語はもちろん、少し日本語もできるようで、これらは成り上がりの要件になっているようです。日本語をこなすようになると年収が4倍になる、という職種もあるようです。かなり親日でした。
彼らが主張するおもしろいことは「インド人と一緒にしないでください」
ということでした。隣国に関していい印象は無いそうです。
日本からもたくさん援助をしています。彼らはそのことを感謝していました。でも、深く話し合うと、彼らの心の内は少し違っているようです。日本が援助をしても、こっち政治が腐っていると。 20人くらいが口を揃えていっていました。税金も高いそうです。
3月になると18時間くらい停電するそうです。でも電力の開発にはあまりお金を使わないそうです。「たくさん水力があるんだから、もっと水力発電を開発して、インドに電気を売ればいいのに」という声もありました。
また、物価上昇率はすごいのに賃金率はあまりあがらない、という現象に陥っているそうです。そして彼らが言いたかったのは、「働きたい」と言うことでした。「援助を受けているという現実が、すんなり喜べるかい?」 と、男達のプライドがありました。「政府になんか期待してないさ」と言うことでした。「僕たちを、そしてアジアを引っ張っていってください」
という声が多かったです。
日本のテクノロジーを知りたい。特に農業や工業だそうです。でも、日本に行こうにも航空券代は彼らの年収に相当する、という現実がある、と。当時の彼らの平均月収は日本円で5000円から10000円。自動車や電化製品は決してこちらと値段が変わるということはありません。比較的価格を抑えた韓国のメーカーが強いようです。
ただ、日本と比べると、マナーやスピード、正確性の面において、信用度が低いというのは確かです。人間として信じられないと言うことではありません。経済活動というものは、よいものが選ばれて、そうでないものは選ばれない、という摂理を見事に表現します。それをおかしくしているのはいつの時代も政治です。政治と言うのは経済からかけ離れた権力欲から生じるものだからです。日本でも、日本を立ち直らせたのは、政府ではありません。松下幸之助など、民間人のはずです。
寄付と言う形は好きではありません。どうしようもなくやばい状況ならばまだしも、自力でできる、という可能性を否定的に捉えているような気がするからです。僕にできることを、彼らと話し合いながら、形にしていきます。なぜなら、いつまでも対等に飲んで歌って踊れる仲でいたいからです。
悪人もいますが、頭のいい人たちは気づいています。「騙したら儲かるけど、その場限り。よいサービスを提供して気に入ってもらえれば、何回でも利用してもらえる」当たり前ですが、あの劣悪な環境では、そんなことにも気づかないようです。でも、頭のいい人はちゃんといます。悪人ばかりではありません。
パシュパティナート
シヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院「パシュパティナート」に行きました。
パシュパティナートは、バグマティ川の川岸にあります。
ミルクババと呼ばれる人たちやサドゥーと呼ばれる人たちに会った他、火葬場の方に行ったり、林の中で鹿を眺めたりしました。
途中で急に話しかけてきた自称ガイドが鹿追いのようなことをしてくれたりしましたが、あとでガイド料をせびってきたので1ドルくらいを渡そうとすると「少ない!」と日本語で叫んできました。
ミルクババたちとサドゥー
さて、連れて行ってもらった場所がミルクババと言われるヒンドゥーの偉い人のいるところだったようですが、まるでサッカーの応援の人のようです。
300円のじゃり銭を持っていて「ルピーに替えてくれ」と言われました。
もっと威厳に満ち溢れているかと思ったら案外ノリの良いミルクババたち。牛乳だけで生活しているそうです。
サドゥー
ミルクババは一応牛乳だけで暮らしているようですが、彼ら以外にもサドゥーと言われる人もいました。
何年くらい髪を切っていないのでしょうか。
なお、サドゥーはいわゆる修行者です。ヒンドゥー教の行者でヨガをしていたりします。
火葬場と不浄観
この場所では、川岸で死体を白檀などの「キャンプファイヤー型」の木の中にいれて火葬していました。この儀式は火水土風に帰るということらしいのですが、本当に目の前で燃えています。
ということで、人が焼ける臭いがするのですが、おそらく日本ではなかなか体験できないでしょう。この火葬は彼らの文化圏ではかなり重要視しているようで、貧困層であっても、自分の血液などを売ってまで親の火葬をするようです。
なかなか経験できないことですが、「だからどうした」ということです。ちょうどこの時、不浄観をすることになりました。この現象に意味をつけることもできます。そしてそこから自動発生する感情もあるでしょう。しかし、ただそれだけです。それにまつわるいろんな思考や感情は、ただ、思考や感情でしかありません。
パタンのダルバール広場
また、カトマンズを南に進み、バグマティ川を越えた所にあるパタンのダルバール広場(Durbar Square)に行きました。
パタンのダルバール広場に行ったついでに曼荼羅を買いました。
ここはたくさんのアーティストがいろいろな絵や彫刻などを作りながら売っています。
パタン(patan)はネパールの古都としての名称であり、正式な都市名はラリトプルです。
ダルバール広場は世界遺産であり、マッラ王朝の遺構で16世紀から18世紀にかけて建てられた建造物が立ち並びます。
なお、ダルバール広場はこのパタンの他、カトマンズ、バクタプルにもあります。
靴磨き
帰る直前、小銭は日本円に換金できないので、どう使おうか考えていました。そんな時に靴磨きのインド人に会いました。特に興味もなく、いつもなら蹴り散らかしているところですが、余った小銭なのでまあいいかと思って、どろどろになっていた靴を磨いてもらうことになりました。一応その時の言い値は250円くらいでした。ということで「まあいいか」です。
すると、500円位をせびり出しました。いやいや、どういうことか聞かせて欲しい。訳を聞くと、靴の片方が250円だと言い出すのです。ほう、なかなか面白いことを言うじゃないか。
そんなこんなで靴磨きが終わると、「ここが破れている」と指摘しつつ、こっちは「いらないよ」と言っているにもかかわらず勝手に靴の修理までやりだしました。「アイアムシューズドクター!アイ・アム・シューズドクター!」と、はにかみながら。僕はもちろん頼んでもいません。でも、靴を離してくれません。
そして「35ドルくれ」と。
日本でも靴買えるよ、それ。ということで、胸ぐらをつかみました。
しかし、その時ふと浮かんだ「右の頬を殴られたら、左の頬をも向けなさい。上着を奪おうとする者には下着をもやりなさい」ということで、潔く残りの小銭を放り投げました。
お金を受け取って数秒後、その時に、急に他人のふりをして僕を無視しだしたインド人の表情は今でもはっきり覚えています。
澄んだ目の男の子
ポストカード売りの少年少女がいました。
初めに女の子が売りに来ました。
その光景を見て、少年たちが4人くらい、僕と言う客を横取りしようと群がってきました。
そんな中、後から一人の少年が走って近寄ってきて。
「お前たちやめろ」
と、4人を戒めました。
そして「もし買うなら彼女から買ってください」と、まだ整わない呼吸を縫って訴えながら、少女のほうを見つめていました。
そして、4人を引き連れて去っていきました。
ものすごく澄んだ目をした、たくましい少年でした。
ネパールの通過は、ネパールルピー(Rs、NPR)で僕が滞在した当時は1ネパールルピー=1.2円くらいでした(2018年では1円ちょうどくらいです)。ネパールに行った当時はちょうど関西国際空港からの直行便が無くなったような時期で、乗継便で行きました。
当時の物価は日本の1/10くらいでしたが、最新家電などは日本よりも高いくらいで売買されているようです。基本的に口頭での金額交渉が多いですが、ネパールにおける消費税にあたるVAT(付加価値税)は13%で、お店によってはそれが金額に加算されることがあります。特にネパールに限らず、アジア圏に行くときには小型の電卓を持参しておくと交渉が楽になりますので、おすすめしておきます。
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